prorogue




 男は極度に疲労していた。
 なにせ祭りの準備の買出しに村を出たのが5日前。三日前に町の安宿で獣臭い毛布に包まり、次の日の昼まで町中回って大量の物資を買い込んだのを除いては、ずっと砂漠を歩き通しなのだ。
 大量の荷を背負ったトプカの足取りすら、どこかおぼつかなく見える。

 控えめに言っても最悪の旅だった。
 村から二日かけて砂漠の外の町までたどり着くまでは、まだよかった。が、とりあえず目に付いたボロ宿に倒れこむようにして入ってしまったのがケチのつきはじめだ。
 部屋が砂っぽかったのはまだ良い。床板が所々腐りかけていたのも、バカみたいに安い宿賃を思えば、我慢できた。
 しかし、あの石で作ったみたいな固いベッドと、毛布の異臭とにはほとほと参った。いったい何年洗ってないんだ、あれは!?
 さもなくば、前にブタかなんか寝てたに違いない。
 くたくたに疲れてたのに、一晩中悪い夢にうなされた。
 翌朝は、頭痛のする体に朝食として出された焦げたパンを無理やり押し込み、そのまま昼まで町中歩き回ることに。酒や穀物はほぼ問題なく手に入ったのだが、祭壇用の飾り布に無茶苦茶な値を吹っかけられ、代わりの店を探して彷徨うハメになった。・・・が、それより良い店も見つからず、安物を買って帰るわけにもいかないので、結局もとの店で買った。あの親父のニヤニヤした顔!まだ目に焼きついている。
 そんなわけで、もうそれ以上その町に居たくもないし、何よりさっさとうちに帰りたくてその日のうちに町を出たのだが、その夜は魔物に遭遇した。弱い奴が干し肉を炙る香りに誘われて出てきただけだったので、思いっきり脅かしたら逃げて行った。
 挙句の果てには、昨日の砂嵐で方向を誤り、本当だったら今日の昼にでも村に着けるはずが半日ほどロスし、もうとっくの昔に日は沈んでしまっている
 ・・・最悪としか言いようが無い。

 だがそれも、もう終わりだ。今宵中には、ようやく村に帰れるだろう。
 彼の生まれ育った村。生まれてから、これまでほとんど離れたことのない故郷。世界有数の大砂漠、エルエル砂漠のオアシスにある、ファライの村に。

 村は他の集落とは大きく離れた砂漠の真ん中にあるので、普段はほとんど外とは関わりを持たず、自給自足の生活をしている。しかし、祭りの時のように一度に大量の物資が必要な時は広大な砂漠をトプカを連れて数日間歩き通し、買い出しをしなければならないのだ。
 腰に下げられた大振りの剣と、彼自身の頑強そうな肉体がこの仕事の危険性を示す。
 この砂漠には盗賊も出没するし、砂漠に棲む獰猛な魔物に襲われる危険も否めない。何より数日にもわたって砂漠を歩きとおすのは、柔な体力では乗り切れない。
 幸いにも(この旅にこのような形容詞を使うのは、大変心外だが)、今まで盗賊とは遭遇していないし、出会った魔物も、この間の一匹だけだ。
 それでも砂漠ど真ん中の苛酷な環境には、全く参った。日中は灼熱の日差しが容赦なく降り注ぐし、反転して夜は凍えるほど寒いし、たまったものではない。

 空には上弦の月。
 既にそれは西の地平線の上空にあり、夜の深さを物語っている。恐らく、あの月が完全に沈みきる深夜には家へ帰れるだろう。
 今年で8歳になる息子はまだ起きているだろうか。いや、もう夜も遅いから起きてはいるまい。
 朦朧としつつある頭でそう考えていた。

 あぁ、もうとにかく早く帰りたい。
 早く帰って家で休みたい・・・。

 遠くのほうに明かりが見えるような気がする。きっと故郷の灯だ。
 やった。もう少しだ。もうすこしで・・・


 しかし、そのときだった。
 一瞬の安堵を裏切り、希望の灯を遮り、幾つかの黒い影が躍り出たのは。

 先陣を切って現れたのは、闇に溶ける漆黒の衣
 そしてその背後には見るからに強面の男共数人・・・

   いわゆる『盗賊』であった。

 連中の衣の間より見え隠れする、穏やかな月夜には不似合いなほどに研ぎ澄まされた(いや、むしろ似合いすぎて恐ろしいのかもしれない)短刀・・・。その怪しげな輝きは男から長旅の疲れすら吹き飛ばし、驚愕と恐怖を植え付けるに十分過ぎた。

「良い月夜だな。」
 リーダー格と思しき黒衣の男が、口元を歪ませながら、やけに穏やかな口調で言った。
「な・・・」
 最悪だ。
「なに、べつに驚くことは無いだろう?そこの村で近く祭りがあるのは知ってたし、この間お前がトプカを連れて村を出たのも見た。折角の大きな獲物、みすみす見逃すと思うか?」
 これ以上悪くなるとは思っていなかったのに・・・最悪だ。
「随分疲れてるようではないか?」
 対する黒衣はますます口を歪ませて、言った。
「その重そうな荷物、預かってやろう。」

 しかし、彼もこのような非常事態を予想していなかったわけではない。
「に、荷物は渡さんぞ!」
 腰の剣を抜き、必死に声を張り上げる。
「渡してもらわんと困る。こちらはそれが生業だ。・・・もっとも」
 黒衣は口だけで笑いながら、鋭く残忍そうな赤い目を光らせ
「どうしても抵抗するようなら、その命もろとも頂戴するが?」

 ぞっとした。こんな恐ろしい目をした奴は見た事が無い。
生まれてから、初めて経験するほどのすさまじい恐怖だった。口調こそ穏やかだが・・・間違いなく、殺される。まるで虫を潰すかのように、何の躊躇も無く、コロサレル・・・

「う、うおぉおおおお!!」 
 恐慌に任せ、まるで気が狂ったように、男は黒衣に突進した。
 が、彼の攻撃はいとも容易くひらりとかわされ
 そして、再び突っ込んでいく彼に向かって、さっと黒衣は腕をかざす。
「黒衣」の腕から短く、直線状に鈍い光が走り、剣を持った「彼」の手首にすっと赤い線が引かれる。

 黒衣は短刀を拭うと、
 苦痛に顔を歪ませながら右手を・・・いや、
 今は温く赤い血潮をとめどなく噴き出すだけの“右手の付いていた、腕の先端を”抑える彼に向かい、
 相変わらず口許だけの冷笑を浮かべながら言い放った。
「荷物を渡せば命までは奪わん。トプカを置いてとっとと失せろ。」
 赤く、不気味に目を光らせる。
「ぐ・・・」
「それとも、夜行性の魔物どもの餌にでもなりたいか?」
 そう言って、黒衣は更に口元を歪ませた。
「右手だけでなく、な。」 

 今ここで逃げ出そうとも、彼を臆病と罵る者はそう居ないだろう。
 盗賊に襲われ、命の危機に晒され、実際に右手首から先を奪われたのだ。命有っての物種、というではないか。

 しかし、
「な、舐めるなぁ!」
 彼は、責任感が強い男であった。
 責任感が強く、腕も立つ。それを見込まれて大任を任された。
 そして任された以上は、途中で投げ出すなど・・・
 かくなる上は残る左手で剣をつかみ、必死の形相で黒衣に突き上げた。

 しかし、黒衣は体を捻って、それを難なくかわし、
「・・・馬鹿が」
 短刀を彼に向けて放った。

 それは、確実に彼の心臓に突き刺さり
「・・・ぁ・・が・・」
 白目を剥き、大きな血の塊を吐いて、彼の大柄の体躯は、倒れ、動かなくなった。

 黒衣の男は彼の躯から短刀を引き抜くと
「行くぞ。」
 微動だにせずに彼の後ろに控えていた男たちに命じてトプカを引かせた。
 主人の血に興奮して暴れかけたトプカは、しかし黒衣の男の赤い眼にひと睨みされると、素直に従った。

 月夜の砂漠。
 一人の勇敢な男の躯と、赤く染められた砂だけが、残った。
 この旅が、いま幕を閉じた彼の人生にとって最悪の体験であったこと。それは間違いないだろう・・・


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